10年

1995.1.17 阪神淡路大震災から10年が経った

10年前は中学1年生だった。
その頃は尼崎に住んでいて、西宮の学校まで電車で通っていた。
学校は1月30日まで休みになった。

住んでいた団地には建物前のコンクリートの歩道にひびが入り、水道管が切れたくらいで震源に近い地域に比べると被害は小さかった。父親はたしか大阪の会社に出勤したので、自転車で食料やらを道の段差に気をつけながら自転車で買いに行った記憶がある。

学校が再び始まるまでは、家の片付けと、近くに住んでいた母方の祖父母の家の片付けをした以外に何をしていたのかは覚えていない。弟が中学受験前で、しかもインフルエンザにかかってしまったので母親はずっと世話をしていた。父親は数日は家にいたが、大阪では何もなかったように世の中が動いていたようで(行ったわけでではないのでそう感じていただけだが)、会社に通いだした。私は毎日の買い物をして、あとはテレビと新聞を見ていたと思う。

何もできなかった。そういう気持ちがずっと残っている。同級生の中には避難所で手伝いをしていた者もいた。しかし中学一年の私は、手伝いたいといってもどこに行けばよいのか知らず、また交通手段もなく、ただただ淡々と日々過ごしていたと思う。

1月30日に学校は始まったが、電車はひとつ手前の駅までしか通じていなかった。新幹線の高架が落ちた現場の横を通って、3〜40分かけて学校まで歩いていたと思う。西宮市は全壊した家も多く初めて震災の被害を実感した。

地震の影響で川西にあった父方の祖母の家が半壊となった。どういう話があったかは分からないが、私の家族と、父方の叔父の家族と、祖母とでその場所に新しい家を建てることになった。地震がなければおそらくずっと尼崎に住んでいただろう。

あの震災に遭ったものは、多かれ少なかれそれ以前とは違う生活を送ることになった。
私は影響が少なかった方に入る。私は家族、親類や友達、そして直接の知り合いの誰も失わなかった。

これが私の震災体験でした

10年後の記録として
2005.1.17